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舞台、俳優DD、サブカルかぶれ等

夏に見たのは実在しない人だった

 横浜流星くんが連ドラに出ることになった。深夜の3時まで寝付けず、延々とWikipediaで未解決事件の記事を読んでいたら気づいたら寝ていた。翌日は17時から友人と食事に行く予定だったので平気だろうと思いアラームをかけずにいたら、思いの外早く起きてしまった。時計を確認すると7時だったので、とりあえず精神を安定させるための日課であるエゴサーチをすると急に連ドラが決まっていた。

 なんか現実が飲み込めなくてとりあえず今は金曜日の朝7時だから普段私と同じような生活を送っている子には絶対に電話がつながらない!と変なところばっかり回る頭で会社員の友達に電話をかけて喋り始めようとすると急に呼吸が乱れ始め、大量の涙が出てきてわたしはうまく喋れないことに気付き混乱のあまり叫んだ。

 流星くんがどんどん夢を叶えていく。

 私はただの流星くんのファンでしかないけれど、一方的に流星くんに自分の叶えられなかった「夢を叶える」という夢を託している節があった。流星くんは夢の化身であり、私は夢という生霊を俳優に取り憑かせた六条御息所だ。想いが強烈すぎて自分の意思とは全く関係なく、重圧を人に与えてしまう恐怖に苛まれつつある。しかし流星くんの夢がどんどん叶っていくにつれて、私のどうにかして具現化しようと思っても不可能だった"夢"を着実に手の内に収めていく流星くんに私は恐れをなすようになった。憧れている人がどんどん加速度的に自分から離れていく。全然違う存在に毎日遠ざかっていく。そしてわたしの託した夢の生き霊はどんどん流星くんの夢に食べられて小さくなっていく。流星くんが高速で上の方に浮いていく。わたしはどんどん下に沈んでいく。流星くんが夢を叶えるたびにわたしの夢というやつは叶わなかったんだなと改めて認識する。だから、だからどうしようってことじゃないけど、流星くんが夢を叶えることができていて良かったけど、その反面、わたしは流星くんになれなかったから流星くんを応援しているんだな、と毎日実感するようになった。

 

 今週のお題「一番古い記憶」

 

 わたしは青森県陸奥湾に面した町で育ったシステムエンジニアプログラマの父と、鹿児島県大隅諸島で公務員と文筆業の夫婦のもと育った母のもとに生まれた。非常にどうでもいいけど、流星くんのルーツも青森にあるのでそこはかとなく父に似てるのかもしれないな、と思う時がある。横浜という苗字は陸奥国北郡横浜村が由来になっているらしく、てか父の出身地そこだった。えっ、運命じゃね!? わたしと流星くん、もうわたしのDNAからして運命なんじゃん! 最高かよ! やっぱり横浜流星くんしかじゃん!

 話がそれた。わたしの一番古い記憶は、幼稚園に入ってすぐの頃、*1父がスクーターに乗って仕事に出かけるところを当時住んでいたマンションの駐輪場で眺めている思い出である。 わたしはすぐ物を捨てる癖があるので、自分で幼少期の写真をほとんど持っていないし、親も個人的に持っている(つまり、わたしに隠して保持している)以外の写真をわたしの要求で破棄しているので、いまいち幼少期の自分がどのような子供だったのかが思い出せない。将来結婚式とか万が一やるとしたらどうしたらいいんだろう。スライドショーとかで、幼稚園の時の写真映すじゃん。全然ないんだけど。現在自分が物理媒体で持っている一番最新の自分の写真が横浜流星ファースト写真集発売記念イベント1日目の特典チェキという事実、どうしたものか……。流星くんのファンになったときに、流星くんのファンになる以前のものをほとんど処分してしまった。嵐担だった時代のグッズは某メ◯カリやオークションで叩き売りし、プラチナデータのフライヤーに至っては折って枝豆の殻を入れるゴミ箱にした記憶がある。変にモノとして持っているとうっかり後戻りしてしまいそうで怖いというか、自分が自分である存在価値を流星くんの下支えだけに見出すって決めたのに過去の承認にすがってるのはみっともない、という確信があって全部処分した。青の炎の二宮和也コレクターズ・エディションも、アジアツアーのうちわも誰か知らない人の手に渡り、必死にかき集めた00年代前半のWS、どっから拾ってきたのかわからないものまで入っているお宝音源のデータも全部消した。リグレスオブプログレスの歌詞がもう思い出せない。

 だから古い記憶がどうとか言われても、ぶっちゃけ去年の夏より前のことは人生の中でなかったも同然だし、とか思っちゃう自分がいて、ドライだなーと客観的にみている。物理的にその時期を過ごしてきたという証拠が何一つないので、まあ半券とかは残してあるけど、燃やしてもいいよ。だからいま流星くんのファンをやっているにあたってモノに残る何かにこだわってしまうのかもしれない。いちいちこうやってブログで記録したりとか丁寧に半券ファイリングしたりとか埋まる見込みもないのに60枚入るチェキホルダー買ったりとかそういうことに固執してしまう。

 そして俳優に対して異様にドライ(もしくはドライなポーズを保ちながら)応援できる人はその分これまでの人生にさまざまな余白がもたされており、あとに戻ったとしても自分は自分なんだって確信が持てる人なんだなっていう見方をするようになった。有り体にいえば、その人に出会えてなくても自分の人生はいまとまったく同じなんだと確信できる人のことだ。わたしの人生はいつも他人に影響されている。だから怖い。影響されたくない他人の影を部屋に残してうっかり影響されてしまうことが怖い。なので、過剰にものを捨てる。無駄に感受性豊かで流されやすいのに信仰心強いから、予防のために全部捨てる。

展覧会にかざる絵はこれがわたしの人生だって言うつもり

でも君のはしっこに勝てない気がした

君のはしっこにさえ勝てない気がした

 流星くんは驚くほど影響を受けた人の話をしない。

 あえて挙げるとするならば、お父さんとお母さんくらいだろうか。サブカル特有の権威がないと何も支持できない文化、引用で全て成り立っているわたしと違って流星くんは純粋にただ自分のそのままをぶつけてこれだけ人々の信仰を集めているので彼は崇高だな、と思う。

 

 連ドラかー。実感が未だに沸かない(自分のことじゃないのに実感がどうとか言ってるの本当にバカなので罵ってほしい)。

*1:わたしは発育の遅い子供だったので、幼稚園に入園したのは年中からだった。かの学習院幼稚園と同じである(笑)。